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2014年 06月 08日
どっちも大切な親なのだ
c0160283_2216019.gif甥っ子の結婚式に参加しまして、大変めでたく、よい式でした。両家韓国人ということもあり、司会進行は韓国語ベースのバイリンガル。毎度ながら韓国語を解さない俺にはアウェー。そして、披露宴後半は、会場まるごと歌い出して、みんな立ち上がり輪になって踊り、最後には新郎と新郎父と新婦父をかつぎあげての騎馬戦的フィニッシュ。韓国式ということだけど、すごいカルチャーですね。女性はチョゴリ、男性はスーツ、新郎新婦は最初民族衣装で後半スーツ。料理はフレンチと中華だけど、別にキムチが置いてあるというカオスっぷり。

こういうのに触れるたびに居心地の悪さを感じて、ああ僕は韓国人の血をひいてはいるけれど、韓国人ではないんだなーと思ってしまうのだ。やっぱり民族教育をされてなくて、日本文化しか知らないんだよなぁと痛感する。このギャップがずーっと根っこにある。知ろうとしなかった自分の責任でもあるだろうけど、でも仕方ないよなとも思う。どっちがいいとも思わないというか、自分は今の自分でよかったとしか思えない。

喩えるなら、韓国は生みの親で、日本は育ての親だ。生みの親を無視できないし、そこに自分のルーツがあることもわかってはいる。大事にしなくてはいけないと思うけれど、どっちが大事かと言えば育ての親を選ぶよ俺は。不謹慎な喩えだったらすみません。でも、そんな感じがしっくりくるのかなぁと、ふと思い当たりました。

でも海外だとどうなんだろう。たとえばサッカーを見ても、二重国籍を持っている選手が母国の代表を選ぶケースもけっこう目にする。それは育ての親よりも、生みの親を大事にしてるってことなのかな。そんなに単純なことではないのかな。

考えるほどに、境界線の虚ろさを感じます。ボーダーラインなんて本当はどこにもないし、国単位でものごとを考えることの矛盾を感じます。でも、そんなに簡単に割り切れないし、人類皆兄弟ってのも無理はあるよね。それでも、one worldって考え方していたいんだよなぁ。とりとめも、脈絡もなく、そんなことを思う一日でした。

新郎新婦、末永くお幸せに!
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by april_hoop | 2014-06-08 00:00 | 私事 | Trackback | Comments(0)
2014年 05月 30日
知りたいのは気持ち
c0160283_13185260.gifウクライナ情勢が気になっている。2014年にもなって、まだ武力行使で領土の変更が行われるということに驚いたから。実際には日本含めて世界中にたくさん領土問題はあるんだということを、改めて実感させられている今日この頃。民族、原語、歴史、移民、経済、軍事、レイヤーが多過ぎて、理想の答えは見つかりそうにない。

ネットのせいなのか、大人になったからなのか、知りたいと思うことの答えがとても遠く感じる。STAP細胞の真実はどこにあるのか。当事者以外には誰もわからない。マスコミにだってそれはわからないんだろう。関係者が口をつぐんだら、もしくは事実と違うことを口にしたら、それはどこにも出てこない。いや、口を開いたとしても、思考や感情を正確に伝えることは多分不可能だ。論理的な整合性は取れたとしても、それが本当の真実であるとは限らない。

何かを知りたいと思う一方で、なんだかとてもじゃないけど手に負えないな、って思うことが多い。もともと手に負えなかったんだけど、接する情報が増え続けるほどに逆説的にそう思うようになった。新聞を読んでも、ニュースの源流にある真実にたどりつける気がしない。なぜ、誰が、どうして、そうなったのか、わからない。検索すれば少しはそこに近づけるような気もするけど、膨大な海に放り込まれているだけのような気分のほうが強い。気付いたら時間だけが過ぎている。

知ろうと思わなければ、そもそもネットがないときは、こうは思わなかったような気もするけど、インフラが変わったのか自分の物事への接し方が変わったのかはよくわからない。昔よりは物事を俯瞰しようとする傾向は強まっている気はする。部分や短期的なところだけ見ると、本質を見誤りそうだから。大きな文脈を読み飛ばさないようにしたいから。でも、それを達成するにはものすごく体系的な知識と強要が必要で、途方に暮れる。この繰り返し。でも、勝手な意見は世の中にあふれているし、僕もその一部を担ってもいる。こうして。

ああそうか、本当に知りたいのは、人の心なのかもしれない。情報はたくさんある。だけど、その情報の裏側にあるはずの感情とか、気持ちとかは、伝わってこない。争う人の声も、貧しい人の声も、笑う人の声も、優しい人の声も、情報からはなかなか届かない。会って、離さないと、わかんないんだよな。記号になっていない、空気の中にあるいろんなことが。そういうところに、アプローチする方法があるといいな。
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by april_hoop | 2014-05-30 00:00 | 私事 | Trackback | Comments(0)
2014年 05月 29日
10年ひと昔とは言うけれど
c0160283_0424357.gifそれにしたってあっという間だよなぁと思う今日この頃。ふと振り返ったら、blogを始めたのが2005年5月22日頃でした。10年目じゃん! 始めた頃とはノリもずいぶん変わったし、プチ炎上も経験したし、そんなこんなで10年目に入れたってのはけっこう嬉しい。blogもすっかりレトロなツールになってしまい、好きだったblogはほぼフェイドアウトしてしまいました。だけど、僕はこのblogって空間がわりあい気にいってるので、エキサイトさんのサービスが続く限りここに居座っていきたいなぁと思います。最近はノートっつーのもあるようだけど。10年を振り返ってみると、さすがにいろいろ変化もありまして。結婚も転職もしたけど、とみに思うのは、趣味が増えたなってことです。

スポーツはもともと好きだったけど、マラソン始めるとは思わなかったよね。週末にちょろりと、大会前にしっかり。年に数回のレース出場がこんなに面白いとは。体にもいいし、仮装もしたし、これからもずっと走り続けよう。なるべくいろんなところの、いろんなレースに出るんだー。今シーズンのこともそろそろ考えないと。

それから映画とアート。仕事がきっかけではあったけど、こんなに好きになるなんて思わなかったよ。どちらも奥が深過ぎてにわかファンの域からなかなか出られないけど、この先もずっと楽しませてもらえると思うとわくわくします。それから写真。フィルムカメラで撮る楽しさはこれからも大事にしたいな。フィルムも現像も高いけどね。どれも、広く浅くになってしまってはいるけど、それが僕らしいということで。部活もころころ変えたしね。

で、旅行。若い頃は日和っていたけど、行き始めたらすっかり楽しくなって、もうそろそろ旅行が趣味ですと言ってもいいレベルでしょうか。英語はままならないけど、海外も国内も知らない事だらけ。行けば行くほど世界の広さの虜になる感じ。国内旅行もアーカイブしたのでよかったらごらんください。
国内旅行記

趣味があるって、いいよね。夢中になれるもの、生活にリズムと潤いをくれるもの。これがなかったら今の生活はずいぶんと退屈してしまうんじゃないかな。まだまだ趣味も増えるかな。山登りか、ゴルフか、トライアスロンか、はたまた全然別のものなのか。未来が楽しみです。

(写真は全然脈絡なく渋谷の朝。いろんな物語が立ち上がってます)
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by april_hoop | 2014-05-29 00:00 | 私事 | Trackback | Comments(0)
2013年 02月 05日
本と紙と、物語と_37、90年代フラッシュバッック!
c0160283_1846953.gifわりと軽ーい気持ちで手に取ったspoon.のムック『1990X』。その中身は、90年代生まれ世代と、90年代に青春を過ごした人たちの2世代カルチャーをミックスして楽しんじゃおうというノリ企画(spoon.本誌で90年代特集やったら売れたそうでその発展形)。これがなんとも言えなくてさ!

俗にいう20年サイクルって、つまるところ働き盛りの人たち(今30代後半〜40代)が、かつての青春時代のカルチャー(つまり90年代)を思い出しつつリバイブさせたくなるから生まれるんだろうね、ってわかったわ。80sが流行るのは、やっぱりその当時のカルチャーに染まった人が仕掛けてると思うし、70sとかもそうなんだろうね。てことで、2010年代の今、90年代が脚光浴びるのは必然性あると思います。

で、この中でもフリッパーズ(からのオザケン&コーネリアス)とか、ヒロミックスとか、ソニックユースとか、そのあたりのネタが取り入れられてて、作り手がそれを90年代生まれのアイドルやら大学生やらに着せたり聴かせたりというミックスカルチャーっぷり。なんかそれがけっこうハマってるのよね。今までの20年サイクルとちょっと違うような気もして、それはきっと今がなんでもアーカイブされてる時代だからなのかな、と。興味さえもてばすぐに過去ネタにアクセスできる現代。だから今の二十歳が90年代取り入れてても全然違和感なくハマるんだよね。80sは痛さのほうが強かったけど、90sてそれを抜けて洗練された部分があったし、大量生産大量消費の恩恵というかとにかくやたらみんな所有していたような。子供の頃のコレクションとか捨ててない人が、それ以前と比較して多い気がするのだ。

ところで実際ボクの90年代は中学高校大学生と青春ど真ん中なわけだけど、そこは千葉の田舎のボンクラ学生だったので、渋谷系的な90年代とはほぼ無縁。どっちかというとTKだ、ビーイング系だにうつつを抜かしてたので、ここで取り上げられているようなネタに全然詳しくない。オリーブもリラックスもスタジオボイスも全然読んだことなかったもの。むしろだからこそ、そのコンプレックスが今の僕を衝き動かしてすらいるね。乗り遅れたものを取り戻したくて、そしてこれから先は取りこぼしたくなくて、今必死にいろんなものにアクセスしようとしているような。90年代へのノスタルジーと、ちょっとした焦燥感と、憧れと。うん、間接的な青春だなぁ。直接触れてなくても時代的な空気感は知っているのかもしれないロスジェネ世代だぜ。

さて、これから先はあらゆるログが保存されていくであろう世の中で、なにもかもがデータの中に埋没はしていくんだろうけど、でもその気にさえなればすぐにディグれちゃう。だとしたら20年サイクルはどうなっていくのか。あんまりなくなっちゃうのか。それともやっぱり決まったサイクルで注目されていくのか。個人的に90年代ってのは今にフィットする気分だけど、とてもニッチな趣向で、森ガールくらいの消費のされ方をするような気もするよ。

でもってもしこの20年サイクルが生き続けるのならば、今を生きることは20年後を生きることなのかもしれないなぁ。そう思うと将来を楽しむためにも2010年代カルチャーも捨て置けないぜ。AKBにも、ももクロにも初音ミクにもまるで興味なかったけど、やっぱ楽しんでおかないと損かも!? そんなこと考え始めたらいろいろとドキドキしてきて、なんかやけに胸熱な一冊だったのでしたー。90年代を過ごせてよかったよ、ホント。
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by april_hoop | 2013-02-05 00:00 | 閑話 | Trackback | Comments(0)
2013年 02月 03日
本と紙と、物語と_36、出版社がんばってます
c0160283_050337.gif会社で回ってきた資料に、この『創』という本の2月号「出版社の徹底研究」特集がありまして。冬の時代と言われて久しい出版大手各社のこの1年の取り組みを振り返るような特集でした。いやー興味深いったらありゃしない。
創出版 ショッピングコーナー - ■月刊『創』(Tsukuru)2013年2月号 -

本も雑誌も全体の市場が右肩下がりなのは言うまでもなくて、雑誌は年々マイナス5%くらいの市場縮小。書籍はもう少し下げ幅が小さかった気がするけどここにきて単行本、特に1000円以上するものが著しく売れなくなったというデータを聞いた。この記事にもあるとおり、2012年はミリオンセラーが1本だけ、阿川佐和子の『聞く力』が12月の駆け込み増刷でようやく100万部に到達したんだそうだ。本が売れてないことを数字が証明してくれてます。

もちろん各社手をこまねいていてはつぶれるのでそれぞれに色んな取り組みをしています。ECサイトでの物販だったり、雑誌全体のテコ入れだったり、マンガ事業の収益増大化だったり、中国はじめアジア市場への進出だったり。電子化もそのひとつではあるけど今のところ目立った収益にはなっていないとか。とにかく、いろいろと手を打って、うまくいってるものもあればいってないものもあるというところか。リストラの話もどこかであったっけか?

だいたいに言えそうなのが、ただ本だけを編集していてもなかなか厳しいというところ。本や雑誌以上のなにかを編集していくことで、存在価値を出したり、新しいビジネスモデルを模索しているというのが現状だろうか。出版社が持っている最大のアビリティって編集力だろうから、これをどう活かしていくかってのが大事なのかもなぁと。

にしても、本当に本て売れてないんですね。確かに周りの友人とかを見ても雑誌を買っている様子なんてないし、電車の中で文庫や新書を開いている人こそ見かけるけど、雑誌を開いている人は僕くらいですね。まったく見かけません。若い世代になればなるほどデジタルネイティブになってそれこそ「雑誌で情報を得るってナニ?」みたいなんだろうなーと思うと、先行き不安だわー。でもね、やっぱり本の形が好きだし、紙の手触りが好きだし、情報をあの形で所有していたいんですよ、と。ここにきて逆光的に紙を買いまくっているのはそういうわけで。

いつも通りの普通なオチですみませんが、まあそういうことです。紙文化のいち担い手としてささやかながらガンバロっと。
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by april_hoop | 2013-02-03 00:00 | 閑話 | Trackback | Comments(0)
2013年 01月 30日
本と紙と、物語と_35、LINEは思い出にアクセスする
c0160283_10255450.gif「久しぶり、おぼえてますか」そんなメッセージがLINE経由で送られてきた今日この頃。名前からすぐに思い出せなかったその日とは、学生時代のバイト先の友人でした。かれこれ13〜14年ぶりってことになるのか? すぐには思い出せなかったけれど誰だかわかってからはバイト時代のことを思い出してしばらくノスタルジックモードに突入してしまいましたよ。

Facebookもあわせて、SNSで懐かしい人と再び縁がつながるっていうのは今時よくある話だと思うけど、ケータイに番号登録されているだけで自動的にこういう風に結びつけられるっていうのはなんかすごいを越えていいんだろうか?と思ってしまったり。別にいいんだけど、こういうツールがなかったときには風化して過ぎ去っていったものに、半ば強制的にアクセスされるっていうのは怖いことだと思いました。

つまり、LINEがなかったら、多分僕は彼女のことをほとんど思い出すこともなく日々を送っていたでしょう。何かの拍子に思い出すこともあったかもしれないけれど、それは必然とも思えそうな何かの拍子があってのこと。LINEという存在そのものを何かの拍子って考えることもできなくはないけど、なかなか感情的にはそうは思いづらいかなー。こうなってくると、これからのすべての人生のログは忘れ去られることもなくアーカイブされ続けるってことなんだろうか。すぐに検索してアクセスできるようになっていくということだろうか。消したいものは、自分でdeleteするなどの管理をしていかないといけないということなんだろうか。

もちろん、予想外につながることが素晴らしい再会をもたらしてくれることも多々あるだろうし(そっちの方が多いかもしれない)、それはたくさんの幸福ももたらすんだろうけどね。僕はそういうのが好きだと思っていたし、なるべく自分の過去や思い出や後生大事に持っておきたいと思っていたのに、なんとなくひっかかりを覚えてしまって驚いたわけです。人は、すべてのログを抱えて生きていけるものなんですかね。適度に忘れて、切れるものは切れていくことの美しさって、あるのかもしれませんね。残したい気持ちと忘れたい気持ちと、矛盾してますけどその矛盾もまた美徳のひとつと思ってもいいですよね。

そしてもうひとつ、学生時代ってのが自分が思っていたよりも遠い向こうへ行ってしまっていたことにびっくり。ついこの間くらいの気分でいたのだけど、その記憶はもうずいぶんとおぼろになっていて、こんなふうにすっかり忘れていることもたくさんあって。そうだよな、会社も3つめだから、バイト時代は属性的に3つ前のフィールドになるわけだから、それもやむを得ないか。アプリひとつに妙に感傷的にならされたのでした。
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by april_hoop | 2013-01-30 00:00 | 閑話 | Trackback | Comments(0)
2013年 01月 25日
本と紙と、物語と_34、石川監督という人
c0160283_12494728.gif『好きだ、』という映画がある。僕は未見なのだけど、透明感のあるビジュアルというイメージがある。監督は石川寛さん。石川監督の最新作『ペタル ダンス』が、4月に公開される。『好きだ、』に続いて宮崎あおいちゃんが出演する。この石川監督とお会いしてお話しする機会があって、そのときの話。
ペタル ダンス

ペタルってのはらんの花びらのことを言うみたい。この映画は、4人の女性の話で、主人公があるきっかけで、もうしばらく会っていない友達を訪ねて東北を旅するというもの。「一度落ちた花びらは汚れていたりして、花吹雪のような美麗さはない。だけど、ときどき吹きだまりの中でふわりと舞い上がったりする様子は、例え砂にまみれていても美しい」とは、監督のお言葉。この作品は、いつの間にか会わなくなってしまった友達を訪ねるというテーマが潜んでいるそうだ。キャストも豪華でたいへんに楽しみである。

作品を見ないまま監督にお会いするというのは気が引けることではあったけれど、とにかく素敵な人物だった。主にCMディレクターとしてご活躍なさっていて、『ペタル ダンス』が3本目の長編映画になるそう。おだやかで真っ直ぐな語り口で、風貌も口調もちょっと森本レオさんに似ていた気がする。花びらのくだりにあるように、日常の中にある小さな物語を、映画にしたいとおっしゃられていたのが印象的。映画を撮りはじめたのは、あるときミャンマーに旅したことがきっかけだそう。名もない小さな村で出会った大学生の少女。しかしその時、軍事政権により学校が封鎖されていたため彼女は仕方なく家にいたそう。それを見て監督は、やろうと思えばなんでもできる環境にありながら、どうして僕は映画を撮らないんだ、と思ったんだそう。その旅の写真を見せてもらうと、本当に本当に美しかった。監督は写真もとても素敵に撮られるんだな。

監督がこれまでに手がけてきたCM作品を拝見した。それは一貫して、日常の美しさを切り取ったもの。高校生だったり、社長さんだったり、留学生だったり、出てくる誰かはみな名もない人たちで、彼らの小さな毎日の一こまが、メッセージに乗って描かれている。それは特別な事件ではなくて、ごく普通の瞬間。だけどそこに、生きてきた時間分だけの過去と、これから続いていく未来とが一緒になってつづられている。静かで優しい見守るような視線と、すっと心に寄り添う音楽も印象的だ(菅野よう子さんが手がけているもの多し。『好きだ、』『ペタル ダンス』も菅野さん!)。そのひとつが、YouTubeで見れた。
谷村美月 トンボ鉛筆CM 消しゴム編 2006年

監督のいろんな言葉を聞いていて、物語の力と、それを形にするクリエイターの存在に胸を打たれたよ。映画が面白いかどうかは別のことかもしれないけど、こういう思いでモノを作られているということだけで、なんだか胸がいっぱいだし、見てもいないのに監督の作品が好きになった。そういうことって確かにあると思う。純粋な評価とは別のところにある、つながりの形。とりあえず『好きだ、』をiTunesで借りようと思ったらラインナップされてなくて残念。ツタヤで借りるか。そして、『ペタル ダンス』も楽しみに見よう。きっと、監督のメッセージに深くシンクロできる気がするから。
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by april_hoop | 2013-01-25 00:00 | 閑話 | Trackback | Comments(0)
2013年 01月 19日
本と紙と、物語と_33、名前で食える人になる
c0160283_11252100.gif過日、携わっている媒体のトークイベントがありまして、登壇させていただくことがありました。取材裏話的なもので、4人のうちの1人だったのですがそれでも緊張しました。こういうのは場数踏まないと慣れなそうだな。1人とか2人になったらなにも話せなくなってしまいそうだ。で、ご参加いただいた方から、記念にということでサインを求められました。え、ぼく、ただのリーマンですけど!? お断りするというのも失礼かと思い、恐縮しながらサイン…というかただの署名をしました。完全なる楷書体で。でもやはり申し訳ないので媒体名を添えて。こんなことならサインの練習でもしておけばよかったかしらん。

いつも思っているのですが、僕自身には価値なんてなくて、あくまで媒体という看板を持たせてもらっているからこその今の立場です。取材に行かせてもらえるのも、人に会ってもらえたりお話を聞かせてもらえるのは、すべてメディアという後ろ盾のおかげ。それがなければ誰も僕のアポイントに応えてくれることはないでしょうし、僕が話す言葉にも耳を傾けてもらうことはかなり難しいと思います。なので、残念ながら僕のサインなどには一銭の価値もありません。

だけど、やっぱり憧れはあるのです。自分の名前を看板にできたらどんなにいいだろうか、と(もちろんものすごい責任が降り掛かってくるだろうけど)。発信者、発言者でありたいと願う根底にあるのは、自分の存在を認めてほしいという自己顕示欲があるのかもしれないな。ただひとりでもいいから、誰かの心を動かせたら嬉しいし、自分の感じることに共感してもらえたり、同調してもらえたりしたら。僕が知っていること、見聞きしたことを伝えることで、周りの誰かのなにかが少しいいほうに向かってくれたら。そこまでいかなくても小さなきっかけになれたら。そういうことを考えたとき、僕の名前にチカラを伴わせられたらなぁ、と。

いつの日か、小さくともそういうことができるように。今はチカラを貯められるようもっともっと勉強して。世界のことをもう少し知りたい。文章ももっと上手くなりたい。目の前の仕事に全力を傾けつつ、日々研鑽でいこう。自分を看板にできると、自分自身が思えるようにね。
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by april_hoop | 2013-01-19 00:00 | 閑話 | Trackback | Comments(0)
2013年 01月 15日
本と紙と、物語と_32、speed is power?
c0160283_2381380.gif会社のシステム系部署の責任者が今年のスローガンで「speed is power」と掲げていました。インフォメーションテクノロジーの世界、速さは力であり、勝利のために必要不可欠なものだと思うので、十分納得できます。全然関係ありませんが、学生時代によくやってた麻雀で「スピードは愛だ」ということをよく言うやつがいました。雀鬼流の桜井章一さんの言葉でしたね(←名前久しぶりに思い出してwikiってしまって10分くらいつぶしてしまった)。

僕自身、速いことは好きで、できれば誰よりも速く走りたいと思っているし、人よりも多くのものを見たいと思っているし、基本的には生き急いでいたい。スローライフという言葉が世に出回ったときにはオレはファストライフで行くと思いました(スローライフはそういう意味じゃないってことは理解してますけど。てか最近聞かなくなったねロハスとともに。今はもっぱらエコか)。

だけど、今の世の中にはふたつの価値観があって、今まで通りのスピードを追い求める風潮と、スピードよりも自分のペースを大事にする向きとに別れてきている。より早く、よりたくさんを、というのはここにきて否定的に見られることが増えたと思う。大量生産と大量消費。多過ぎる情報。環境や資源の問題。世界的人口増加。原発問題もそうだろう。その中で速さではないものに価値を認めようとする向き。例えば地産地消。自給自足。日本に限って言えば地方が見直されているのもそうだし、顔の見えるものだけを選ぼうというのもすごくわかる。僕もそういうのは好きだ。

とにかく多過ぎる情報を前にして、そろそろというかとっくに、自分が処理できるキャパシティを越えてしまったなと感じている。なにかを買うにしてもそう、比較サイトで最安値を調べて、スペックを照らし合わせて、ポイントを換算して。それは賢い生き方だとは思うけれど、それでいったい何を得ているんだろうと思うとなんだか疲れてしまうこともある。核安航空券をやっきになって探して、ホテルも安くて少しでもいい部屋がいいよな、なんて口コミを必死に読み続けて。それをしなかったとして、いったいどうなると言うんだろう。どっちもいつもやっていることなんだけどね。

何を取って何を捨てるのか、自分でちゃんと見極められるようにならないと、本当に時間と情報に押し流されてしまうかもしれない。スピードはチカラがあるから、あっという間に置いて行かれるかもしれないし、追いつくだけで精一杯になってしまうかもしれないし。自分の最高速度で走ることと、それを越えて走らされるのは違うということを忘れずに、いかないとバテちゃうよね。自分なりのファストライフを送るために、それに見合ったスピードで。my speed is power。
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by april_hoop | 2013-01-15 00:00 | 閑話 | Trackback | Comments(0)
2012年 10月 14日
本と紙と、物語と_31、雑誌再起動について
c0160283_8451564.gif仲俣暁生『再起動(リブート)せよと雑誌はいう』読了。去年出て出版界でちょっと話題になった本、ようやく読みました。出版不況と呼ばれるようになって久しい今、マイナス成長スパイラルから抜け出せないのが雑誌。その雑誌の現在地点を探るべく、筆者がさまざまなジャンルの雑誌を読みあさり、それぞれを考察した本。もとは2009〜2011年に「Meats regional」で連載していたものをまとめたものだそう。
株式会社 京阪神エルマガジン社|書籍のご案内「再起動せよと雑誌はいう」

とにかくたくさんの雑誌が取り上げられていて、筆者曰く昔から好きだったもの、久しくご無沙汰だったもの、売れてるというだけで格好悪いと思われてるもの、初めて読むもの、さまざま手に取ったそう。「BRUTUS」や「Pen」などのいわゆるライフスタイル誌、「真夜中」「ユリイカ」などの文芸誌、「文春」「AERA」などの週刊誌系、「Number」「Rockin' on」などのカルチャー誌、「ランドネ」「Sweet」「Mart 」などの女性誌、といった具合に(女性誌がちょっと少なくないか?と思うけどまあいいか)。それぞれの変遷や直近の動向に対して、見解が述べられている。メインで取り上げられている雑誌に付随して、類似誌との比較とか過去あった雑誌を引き合いにしたりしていて、筆者の主観ベースとはいえいろんな見方ができて面白いわ。扱ってる特集が去年夏〜秋くらいのものなので、なるべく早く読んだ方がいいと思う。

そう、つまりこの本ももはや雑誌的なものなのだ。雑誌って基本的には時代とともに読み捨てられていくものだから、1年後には古くなってしまうことがほとんど。ファッション誌は、ビジュアルの参考にはなるけれど洋服の情報としては使えないし、情報誌だったら飲食店は閉店とか移転してるかもしれないし、ものの値段も変わっていくし。週刊誌もそうだよね。ああ、あの頃はああだったよね、という懐古的には楽しめるのかもしれないけれど。最新情報もそうだけど、過去っていう膨大なアーカイブに関してもインターネットの方がはるかに得意分野だからなー。難しいわけだ、雑誌が。筆者の結論は、雑誌はどうこうしていくべきだという類いのものではなくて、まだまだ面白い雑誌はあるし、やりようもある、という結論。

情報でお金を取れないとなるとなにで売るかって話ですよね。みんながみんな同じ雑誌を読むことはなくなって、自分に合う雑誌と親密なコミュニケーションを取り始めている。そこにあるのは媒体という人格(ブランド)への信頼なんだろう。この人が言うことは信用できるし、自分と近しいものを感じる。だからお金を出してその世界に触れようとしてくれる。そんな人格と文脈作りが雑誌の生きる道なんだろうなーと思う。ブルータスが今後どうなるかはわからないし、それほど多くの部数を売っているわけではないようだけど、やっぱり一定の文脈をもって作られているから手に取ってしまうものな。「暮らしの手帖」とかが広告無しで安定して作られ続けているのは、読者と編集部の間でいいコミュニケーションが取れているからなんだろう。

人格を固めることで、広くたくさんに受け入れられるということができにくくなる。そうするとまた商売としては難しくなってしまう。その鬩ぎあいが、まだしばらくは続くのだろう。読ませることができて、情報以上の情緒的価値を与えることができて、それでいて親密さを感じさせるもの。みんなに好かれようとすると薄くなる。かといって狭めると首が回らなくなる。だから今、リトルプレス系がとにかく隆盛で、Blogよろしく小さなコミュニティが小さな枠組みの中での実験的発信を繰り広げている。でもなぁ! ファンのためにしかない雑誌なんてどんどん閉鎖的になってしまいそうだぜ。一般流通に載せる以上は勝負してかないとだめだよなー。たとえ一年後に時代の中に埋もれてしまってもな!

ということで、どこにも辿り着けないひとりブレストはまだ続く。雑誌の未来はどこ?
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by april_hoop | 2012-10-14 00:00 | 閑話 | Trackback | Comments(0)