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2017年 09月 18日
感想_ダンケルク
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地味、しかし、目が離せない。『ダンケルク』鑑賞。1940年、ドイツ軍によってダンケルクへと追い詰められたイギリス・フランス連合軍は、海から35万人の兵士を撤退させることを決断する。陸、そして空からのドイツ軍による攻撃をかいくぐりながらの、一秒も気を抜けないその撤退を、クリストファー・ノーランが精緻に描き出す。
映画『ダンケルク』オフィシャルサイト


ノーラン作品、世界でヒット中となれば、見ないわけにはいかぬと、雨の日曜日の朝一に駆け込みました。とてつもなく地味な映画というと怒られそうだけど、ダンケルクの戦いにおけるダイナモ作戦といういう史実に残る厳しい撤退の様子を、退屈させずにここまで緊迫させられるノーラン、天才すぎるよね。


海岸から撤退を図るイギリス兵の陸の視点(1週間)、この作戦ならではの英雄となる民間船のユニット(1日間)、そして影で撤退をサポートした空軍(1時間)。主にこの3つのドラマを並行して描くという構成だけど、その重ね方というか編集テクニックがすごい。音楽による緊張感、小さなエピソードの並べ方、そしてカメラワーク、どくにも隙のない完成度は毎度のことながら凄すぎるね。インセプションやインターステラーのようなスケールの大きな飛び道具設定なしでもここまで見せ切るんだから。逆に言えば、エンタメ度は低いと言わざるをえないのだけど。


帰還後の電車で新聞を読むシーンには不意に涙がこみ上げてきて、それはジョージのエピソードに依るところが大きいのだけど、戦争というと大きな視点で語られがちな中、エンドロールにあったように、この戦いで人生を左右された人は戦死者の数の数十倍いるということを思わされる。戦死者を始め兵士など直接戦争に関わった人はもちろん、その家族や友人、軍や政府関係者など間接的に関わった人もたくさんいる。そしてそれはドイツ軍にも当てはまることなのだと思う。『つぐない』という映画でもこの撤退戦は背景にあったね。あれはフィクションだけれども、1人の戦死者の周りにはたくさんの物語があるということの、一つの真実だとも思う。


それにしても、名前も顔も誰だかわからない混乱下に置かれる戦争の凄惨さよ。キリアン・マーフィーも(船でクダ巻いてたあいつか)、トム・ハーディ(恐れ知らずのパイロットか)も、エンドロール見るまで出てたの気づかなかったし(僕の目が節穴だっただけですが)。ところで、とにかく戦争の臨場感が半端じゃないという評判を聞きつけていたのですが、そこまでかな?という感想でした。が、どうやらIMAXで見た方が凄まじいらしいです。僕が見たのは4Kには対応してたみたいですが。


誰もが見るべき映画とは思わないけど、名作の一つとして語られそうな1本。ちなみに、ダンケルクの戦いのWiki見てたら、過去にもこの戦いら映画化されてるのだね。



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by april_hoop | 2017-09-18 00:00 | 映像 | Trackback | Comments(0)
2017年 09月 17日
感想_君の名は
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あえてSFは抑えめ?『君の名は』iTunes鑑賞。岐阜の田舎で、神社の娘として生まれた高校生の三葉。ある日、自分が東京に暮らす瀧という男子高校生となる夢を見る。目がさめると、それとは逆に自分の中に別の人間が入っていたような痕跡に気づく。二人は、夢を見ていたのではなく、それぞれに入れ替わっていたのだった。お互いに入れ替わっている時の記録を残すことでそれぞれの存在を知り、同志のような関係を築いていくが、ある日を境に入れ替わりが終わりを迎える。それは、彗星が地球にもっとも近づく日だった。

ようやく見ました。本当に面白いのかよ?と斜に構えながら見たけど、あっという間で楽しかったです。が、あんなに大ヒットするほどなのかな?とは思いました。でもああいう火のつき方は今っぽいな、とも。ドラマの『カルテット』とかもそうだけど(言うほどの作品じゃなかったと思っています)、バズったときのバイラルは、逆炎上とでも言うべき広がり方なんだなーと、今さら遠い目で思いましたわ。

さて、中身の方。三葉はかわいいし、瀧君もまあ魅力的で、彼らが近づいていく感じは好感持てます。糸守の町と東京のコントラスト、入れ替わりと彗星のSF感、どうなるんだ?と興味を引きつけるプロットも見事。けど、瀧君の背景はあんまり描かれてないから感情移入度は低い。父子家庭で建築に興味があるんだな、くらいで。そして、終わってみれば普通のティーンの恋愛もの以上のことはなかったよね?というのが正直なところか。

でも、それは狙ってそうしたようにも感じました。本当なら、宮水神社の背景はもう少ししっかり描いても良かったのだと思います。おそらく女系の家なのかな? そこで受け継がれる不思議な能力があるということ。三葉だけでなく一葉にも二葉にもその能力があったことは明らかにされていて、1200年前の隕石の落下とその能力はどうも関係があるっぽい。四葉にも同じ力がこれから芽生えるのかもね。で、古文書が燃えちゃったからもう定かではないけど、その能力はこの隕石(に限らないかもだけど)による滅亡回避のためと読み解けますかね。そこまでして糸守を守る理由はわかんないけど、何か云われがあるんでしょう(というかこの一族ありきで、「糸守」という地名になったと考えるほうが自然ね。この町を守るんじゃなくて、糸=時間、時空の守護者ってことか)。

口噛酒とか、ご神体のある場所のあの世感、自分の半分を置いてくる、みたいなキーワードも多数。二葉の死については何も描かれてないけど、能力と関係があったんじゃないですかね。父さんが娘たちを捨てたのは、能力に頼らずに町を守りたかったのでは(すなわち愛する二人の娘を守るため)。そのためには町長になるという道しかなかったんでしょう。三葉が父を説得するシーンが描かれないのは、おそらくその秘密に触れる部分で、ものすごく感動のドラマがあったのではと思いますが、意図的にここを省略したということは、恋愛<壮大なSFになることを避けたんだと思います。ちょっと複雑になっちゃうし、運命の仕業感が強くなりすぎると、二人が自然に惹かれあったピュアさが損なわれちゃうからね。でもまあ、なんで入れ替わり先が瀧だったんだ?って疑問はちょっと残るけど。

糸と時間をリンクさせるメタファーや、黄昏時(誰そ彼)と「君の名は?」をかけたセンスなんかは最高だと思います。なので、アラフォーおじさんの僕としては、やっぱり落とし所が単なるティーンの恋愛というアウトプットよりも、もう少し大きなメッセージにして欲しかったな。あれだとハッピーエンドめでたしめでたし以上、だもんね。むしろこの後二人がちゃんと長くお付き合いできるか心配というトレンディドラマ的な感想すら湧いてきたわ。基本的に恋に恋して出会った二人とも言えるので、お互いのことそんなによく知らないでしょうし。

ところで、四葉も東京に出てきてたよね? 彼女の能力の開発具合が気になるな。そして糸守の町も神社もなくなった今、宮水の力はどうなっていくんだろう。『時かけ』的な、時間を超える想い的なとことも、目指してるのはちょっと違う気がしたので、落とし所さえうまく消化されたらマスターピースになってたんじゃないかなー。果たしてこの着地は、監督の狙いなのか、配給側のお願いなのか。

その辺りをアレンジした実写をみたいです。ハリウッドでお金かけてお願いします! どうでもいいけど奥寺先輩の分かりやすい悪女感なんなんですかね。あと最後の再会は、思い切り『パラレルワールドラブストーリー』でしたね。『君の名は』もパラレルワールドの恋愛物語だからかな。あとあとあと3年のズレに気づかないってことはあるんですかね。入れ替わったら、今どこ私だれ状態で、まず日付は確認しそうなものですし、瀧君はその辺り合理的っぽいけれども。

そんなあれこれ考えてたら、最終的にいろいろ楽しめたことに気づきました。やはりきちんと作り込まれているからだと思います。ライトなファンも、そこそこコアな映画好きも楽しませる稀有な一本だったのかもね!

<追記>
一夜明け、トレッドミル走りながらiPhone6でもう一度鑑賞(雑ですみません)。前言を撤回します。この物語は、単なるラブストーリーではなく、運命とはたった一つとは限らない、ということをメッセージする作品だと感じました。

2回目で強く感じたのは、「むすび」に象徴される価値観こそが、根底にあるということ。神様がくれた時間と運命であり、それを紡ぐのは人の手であり、それは唯一絶対の決まりごとのようでもあるけど、予想外の展開だって十分に起こりうること。名前も思い出せない、消えてしまった夢の記憶を追い求める二人は、論理や人知を超えたものへの監督のリスペクトが強く出ていたように感じました。時にねじれ、絡まり、やがて元に戻ることもあれば、二つに避けることもある。糸=時間は、直喩であり、暗喩でもありました。そして二人を文字通りつなぐ物質でもある。911や311後からまた少し進んだ、今必要な「いとへん」の物語。

やっぱり口噛酒の存在と、それによって邂逅する二人がハイライトで、自分の体を通し、そして神に捧げられたものが時空を超えて二人を結びつけ、やがてそれは悲劇の回避というアウトプットにつながっていく。それは三葉の使命かもしれないし、神の定めた宿命かもしれないけど、確かに運命を変えた瞬間だったわけで。瀧もやはり選ばれた人間で、突然現れた女に何かを感じ、手渡された紐を身につけ、そして最終的にあの地へと立つことのできる人物だからこそ入れ替わりの対象になったんだろうな。それは、見えないものを信じることの、大いなる意味だと思いました。非科学的だし、は、なにそれ?と言われたらそれまでだけど、でも。タイムパラドックスも解消できてなくても。3年のズレに気づかないことは、記憶を操作されてるからかな。ケータイの記録が消えるのも、記憶が薄れるのも、それが宮水の能力の限界つーかルールなんだと解釈しました。ご神体が離れているのは、隕石被害を免れるためかな。

やっぱり町長は全てを知っていますね。悲劇回避後の週刊誌記事によると、宮水神社に来る前は民俗学者だったそうだから(最初の鑑賞で追いきれなかったこの見出しの部分が見たくて二回目を見た)、糸守には調査のために入ったのであろうことが示唆されてる気が(糸守には民俗学上重要な何か=宮水家の存在、があるという裏付けにも)。そして二葉と出会い、入れ替わりを目の当たりにしたのでしょう(もしくは、二葉との入れ替わりによってここへ導かれた? 糸守を救う三葉を誕生させるため?)。瀧が三葉に入っていることに気づいたのはその体験が初めてではないからだろうし、最終的に行動したことも、描かれてはいないけどそう考えれば十分納得できる。

合理性や、ロジカルな生産性が強いチカラを持つ現代だからこそ、この効率とは無縁な見えないものを信じる強さはとても大事なことだと思います。一回目とはだいぶ違う感想ですが、きちんとしたメッセージと世界観を持った良作でした。今はそう思っています。やっぱり実写のほうがよりグッときそうだ。マシュー・ヴォーンとかどうかな。

<さらに追記>
そういえば糸守では黄昏時を「カタワレドキ」と呼ぶとあったが、あれは入れ替わりの「片割れ」とまみえる時間帯という、宮水家由来の意味だったのではないだろうか。



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by april_hoop | 2017-09-17 00:00 | 映像 | Trackback | Comments(0)
2017年 09月 16日
サンシャワー(森美術館編)
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東南アジア美術を一挙大公開中かつ、国立新美術館と森美術館での共同開催となっている「サンシャワー」。新美に続いて、森美術館編をお届けします。

森美術館は、まず入口手前の天井に、大きな像の立体が吊り下げられているところからスタート。最初のセクションは「発展とその影」。急速な経済成長を遂げる中で、中心部はグイグイ都市化してますが、その歪みをモチーフにしています。高速道路が出来たことで家を移さざるをえなかった家族。失われた古くからの生活様式。都市化することで経済的には豊かになるのかもしれないけれど、その中で損なわれていくものに光をあてる作品が多いですね。こういうのは東南アジア以外にもありますが、地理的に近いからかより身近に感じさせます。

「アートとは何? なぜやるの?」のセクションは、アートシーンが未発達ゆえにアーティストがコミュニティを作り、ワークショップをするなど市民を巻き込んで行われるプロジェクトを紹介。こういうのは東南アジアのパワーや熱気が伝わってきて、可能性を感じます。

そして、個人的に今回の展覧会で最も印象深かったのが次の「瞑想としてのメディア」。言葉にしにくいけど、古くからの土着的な価値観、宗教観に根ざした作品が紹介されています。今でいうマインドフルネスと近いのかもしれないけれど、西洋とは違う非物質的なもの、霊的なものへの信仰心とか、そういうものが、今こそ求められているような気がしました。世界は物質化し、そして今はインターネット上で高度に合理化された世界になってます。データとマーケティングが幅を利かせ、隙間を埋めるシェアリングエコノミーが次のスタンダードになろうとする今だけど、そういう西洋っぽい合理主義とはかけ離れた、東洋的な思想こそ、大事にすべきものなんじゃないかな、と。太陽神のヘリオスと花の陶器をひたすら並べて壁に貼った作品を見ながらそんなことを思いました。合理だけで生きていくのはしんどいのよ。

最後が「歴史との対話」。第一世代的なアーティストへのオマージュや、タブー視されていた戦争や抑圧の記憶の掘り起こしなど、過去と向き合う系の作品群。展示の一番最後は、頭上にカラフルな風鈴が大量に設置されていました。風鈴の起源て東南アジアなんだってね。そしてその風鈴は、あの涼しげな音を鳴らします。しかし、それは妙に不穏な響きにも聞こえます。物質としては色鮮やかで、東南アジアらしいポップな見た目なのに、どこか影や憂いを感じてしまう音色。ここまでの作品で、その複雑に絡み合った世界観を見てきたからこそ、そう感じたのかも。結局、森美術館側の展示も駆け足ながら1時間を要しました。映像作品はほぼ飛ばしてしまったので、本来ならば倍の時間をかけてじっくり見たかったけれども。

ということで、まずはとにかくすごいボリュームで、その歴史背景から独特な文脈が展開されるアートの数々でした。明らかに欧米の現代アートとは趣が異なるなぁと思ったよね。創作というよりも、メッセージ性がとにかく強い。でも、それだけ切実なんだろうなと思いました。東南アジアも先進国社会に取り込まれていくのか。それとも世界とは似ることなく、独自のスタイルを築くのか。アートを通して感じてみるのもオススメです。アート好きには是非オススメしたい展覧会でした。


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by april_hoop | 2017-09-16 00:00 | 文化 | Trackback | Comments(0)
2017年 09月 15日
サンシャワー(国立新美術館編)
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行ってきました、東南アジアの現代美術を集めた展覧会「サンシャワー」。なんと国立新美術館と、森美術館が、共同開催という初めての試み。まずは国立新美術館の方から見てまいります。ちなみに、サンシャワーとはお天気雨のこと。東南アジアに多い気象現象であり、そして晴れと雨が同時に存在するというところに、貧困と海外資本、かつての植民地かと独立など、複雑な現地の事情のメタファーにもなっています。なるほど。
サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで

さて、久しぶりの新美、改めてこの建築は素晴らしいよなぁなどと思いながら、展覧会場は2階のお部屋。そんなに大きくないんだな、なんて思ったけれど十分な迫力で、割と急いで見たけど1時間はかかりました。今回の展示は、2つの美術館合わせて9つのセクションに分かれていて、全部で86組の作家が出品しています。すごい規模だー。

さて、まずは「うつろう世界」のセクション。東南アジアの複雑かつ翻弄されてきた地理的な文脈から生まれたアートが展示されてますが、ここからもうなんだかつかまれました。複雑に変更されてきた国境や、民族の移動など、その歴史は本当に一筋縄ではいかず、僕なんかは普通に観光客としての視点しか持っていなかったけれど、そんな浅はかさが木っ端微塵になっていきます。第二次大戦後に、マレーシア、インドネシア、フィリピンを統合しようなんて考えがあったなんて初耳。「マフィリンド」という名前までついてて、その構想上の地図を現代の目線で描いた作品にも興奮。もちろんユートピアなんかを描いているわけではなく、3国だけでない海外諸国の事情も含まれた困難すぎるだろうそのパラレルワールドこそが、東南アジアの難しさを表してました。安易に「難しい」なんて言葉でくくってもいけないんだろうけど。

「情熱と革命」のセクションでは、第二次大戦後の各国の独立運動に、ベトナム戦争などもモチーフになった作品たち。もう見るからにヘビー級な作品です。東南アジアのアートは、森美術館で過去にも取り上げているけど、やっぱりこの戦争や貧困といった出発点がとても多く、そういう背景の知識が求められる部分が多い。「アーカイブ」のセクションは、未発達だった現地のアート界でもようやくアーカイブが始まっていて、その記録や資料が展示されています。

引き続き複雑なのが「さまざまなアイデンティティー」。民族と国が必ずしも一致してない現地で、さらには越境やら中華系やら欧米からの移住もあったりと、ルーツがさまざま。ポスターになっている作品<奇妙な果実>もここで展示されていて、黄色人種である自らのアイデンティティーを問うために作家自ら真っ黄色にボディペイントした「イエローマン」になって世界を訪ねるというやつ。自分も、在日韓国人という出自を持つだけに、この自分探し感覚はわかるきがするなぁ。

最後のセクション「日々の生活」は比較的ほっこり路線かな。歴史系とは一線を画した、日常のものや、風習・暮らしなんかを題材にとったものたち。一番インパクトがあるのが、床に敷き詰められた糸くずの中に、金のネックレスが9本混じっているというやつ。見つけたらもらえるらしく、マダムが頑張って探してました。その様子を眺めるのも作品の一部で、滑稽さや、人間の欲望がテーマ。どんだけ糸くず詰まってるんかいなと掘り返してみましたけど、だいぶ深かったわ。どこにあるかわかんないけど、見つけるの無理無理。なんてあきらめるのかどうか、みたいなところもテーマの一つとして問われている気もしなくはない。

いやー駆け足で巡るには厳しい質&量だわ。森美術館は別の日に改めようかと思ったけどここまで来て引き下がれないので一気にいきます!




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by april_hoop | 2017-09-15 00:00 | 文化 | Trackback | Comments(0)