2018年 07月 28日
感想_万引き家族
c0160283_22251086.jpg絆の意味を問う映画。『万引き家族』鑑賞。東京都荒川区、マンションのはざまに残されたぼろ家に暮らす5人の家族。苦しい家計は、父とショウタによる万引きで補っていた。ある冬の日、父とショウタは寒空の下、家の外に佇む少女を見かね、家に連れて帰り一晩面倒を見る。翌日、父は信代とともに少女を返しに行くが、家から聞こえてきた諍いの声を聞いて、また連れ帰った。少女ユリを加えた、6人での暮らしが始まる。
是枝監督の、パルムドール受賞作。さすがの語り口で、静かながら目が離せないままあっという間の2時間でした。明らかに不自然な何かを抱えた家族。それぞれの事情と秘密の先に待っているのは、答えのない問いでした。すなわち、「絆」とは何なのか。

それぞれの事情で社会からはみ出し、寄り添い合う彼らは、万引きという犯罪行為を重ねながらも、そのワケありな姿に観客は感情移入していく。どう見ても小悪人だけどこか愛情深さを感じさせる男。口は悪くても包容力を感じさせる信代。クセがありながらも家族の中心にいる祖母。そんな祖母に甘えつつ、JK見学店で働くアキ。そして、学校にもいかず父の万引きに手をかすショウタ。明らかにイビツ、普通ではない、だけど温かい。だから何となく味方をしてしまう。ユリを虐待する親の存在が、万引き家族の正当性を私たちに納得させる。そんな彼らをつなぐものが、血縁ではないのは明らか。その秘密が明らかになるのは最後。

でも話は単純ではない。彼らは貧乏だけど、はみ出しものだけど、正しい人たちだった。ならばよかったのだけど、そうではない。彼らは少しずつの罪を犯していたのだ。果たしてそれでも、ショウタやユリは擬似家族と暮らしたほうがよかったのか。彼らをつなぐものが、「キズナ」と呼ぶべきものだったのか。おそらく答えはノーだろう。父と信代をつないでいたものは、祖母とアキが寄り添っていた理由は、あまりにも危うい。ショウタやユリを善意で引き取ったから全てが帳消しになるようなものではない。100%の善人でもなければ、100%の悪人でもない(とは言えないか)のだ。

では、ショウタやユリを捨てた人たちは、100%の悪人だったろうか。彼らには血縁があったはずだろうけど、そこに絆はなかったのだろうか。劇中では、そこまでは描かれないけれど、家に戻ったユリは幸せそうではなかった。罪に耐えかねたショウタの未来は明るいだろうか。大和屋の主人は何を思ったのか。延々と問い続けるしかない。キズナって何だっけ? でも少なくとも僕は、万引き家族が正しいとは思わないのだ。正しくないけど、でも絆というのはそんなものなのかもしれない。人と人がつながる理由は、少なくとも一つではないし、そしてそれは血縁ではないのだ。友情もあれば、同情もあれば、犯罪であるというのも、別段おかしなことではないんだろう。正しくはなかったとしても。

こういうのも多様性というのかな。人間の業というのかな。「万引き」という軽犯罪を、「人のものを奪うこと」のメタファーとして、人間関係に落とし込んだ手腕はさすがの一言です。大人は自分で人生を選べるけれど、子供は選べないんだよね。ショウタは選ぼうとしたけれど、彼の年齢がちょうどその境界線ということなのかな(何歳かわかんないけど)。

さて、ということで質量のある、さすがの作品でした。見落としていることもまだまだたくさんあると思われます。だけど、僕の中で残ったのは何となくの既視感でした。何に重ねているのか思い当たらないのだけど、一つ言いたいのはリリー・フランキーと樹木希林を是枝監督はもう使わないほうがいいんじゃないかな、ということ。彼らの存在感が唯一無二すぎて、あまりにも収まりが良すぎる。冴えない小男をやらせたらそりゃあリリーさんは絶品だし、毒っ気があるけど憎めないおばあさんに樹木希林以上のキャスティングはないと思うけど、是枝さんが監督でなくても、そのパフォーマンス出てしまいますよね。せめて、違うキャラクターで観たいと思いました。

細野晴臣さんの音楽はとても印象的でした。何にしても、映画は楽しい!



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by april_hoop | 2018-07-28 00:00 | 文化


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