2014年 08月 09日
多少の縁がほしくって
c0160283_17154360.gif楽しげな名前に惹かれてスパイラルで行われてた「FUTURE縁日」見て参った。楽しげだけど、8/6〜10日のわずか5日間だけ。ま、縁日ってそんな何日もやるもんじゃないか。会場は表参道のスパイラル。
フューチャー縁日|三井不動産レジデンシャル

未来の縁日とは言い得て妙。12組のアーティストが、それぞれに出し物を用意していて、縁日よろしくいろんな遊びができますよ、という催し。縁日というだけあってただの展示ではなく、そこにコミュニケーションを生み出す仕組み。例えば詩を作ることだったり、自分がオーダーしたメニューが次の人にいき、自分は前の人がオーダーしたものをいただく飲食店だったり、絵本の世界の登場人物に自分がなってみたり。震災以降のキーワードである、つながりを具現化した企画だと思います。と同時に、祭りや縁日といった日本文化の復活なんでしょうね。不特定多数の人が集まり、その場でなにかが起こる。それっきりかもしれないし、そこから密ななにかが生まれるかもしれないし、そんな感じ。縁日らしいのは、100円とか有料のものが多かったこと。そうね、その小銭感覚もいいかもしれない。

実際のところ、僕たちはどのくらい「つながり」というのを求めているんだろう、って最近思う。コミュニケーション希薄な世の中、とひとくくりに語られがちですが。確かにオンライン上のコミュニケーションは激増したけど、リアルなコミュニケーションが特別減ったとは思わない。あーでも、プライベートで電話することっってほとんどなくなったっけ。隣ご近所さんとは挨拶する程度だけどそれは別に実家にいた頃から変わらないか。あとはまあ普通だ。そう考えると、僕たちが求めてるつながりってのは、もっと前の時代のもので、いわゆる「昭和」的なやつなんでしょう。近所のおじさんが、そこらのガキをどやしつける、的なあのコミュニケーション。そういうの、田舎にはまだ普通に残ってる気もするから、これは都市生活者のないものねだりなのかもしれないな。

つまり、つながりとは言うものの、例えば趣味の領域や、自分をさらけ出す必要のない、煩わしさのない中でのつながりなんてどれほどのものなんだろうとも思う。つながりってもっと面倒くさいものなのではないかと思う。それを、現代都市生活社が受け入れられるのかな、って。利便性に流され、あらゆる意味で独立してきちゃった個が、ほんとの集団に戻れる日なんて来るんだろうか。強制的にそういう環境になったら、そこに順応するしかないんだろうけど、きっとその時にはひとりで生きていきたいって思うんだろうな。ほしがってるのは、多生の縁ではなく、面倒のない「多少の縁」なんじゃないかって思います。

未来の縁日の形とは果たして。クリーンで洗練された現在、もっと泥臭いのに憧れちゃいますね。能登のお祭り見たからかな。
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by april_hoop | 2014-08-09 00:00 | 文化


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