2013年 11月 29日
僕はまるで華麗ではなかった。
c0160283_0502652.gifBOOK APARTさんで見つけたリトルプレス。知性を感じさせる洗練されたカバーに手を伸ばしてみると、THEME:フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』とある。そのほかの号を見ても、『ライ麦畑でつかまえて』『星の王子様』などなど、名だたる作家&書名が記されている。その名は『APIED』(アピエ)。京都発、年に1冊ペースの文芸批評誌でした。
Apied

いやーこれが面白うございました。つまるところ、まとめです。NAVER文芸まとめ「お前ら本当にグレート・ギャツビーのことわかってる?」みたいな感じで、いろんな方たちがそれぞれの感性とロジックで、この作品への想いの丈を吐き出しているのです。批評的に読んでいる人もいれば、あるワンシーンについてフォーカスする人、これが書かれた背景に想いを馳せる人もいたし、フィッツジェラルドその人のことに触れたり、はたまたゼルダを偏愛したエッセイだったり、野崎訳と村上訳について触れてたり。小さけれど読みごたえあります。

そして、僕がいかに『グレート・ギャツビー』を読み解けていなかったかってことを思い知るんですよ。僕はこの本が書かれた背景をまるでわかっていなかったんだなと痛感。無教養ってほんと恥ずかしいですね。ようやく少しだけわかりました。20年代アメリカというのがどういうムードで、一つひとつの設定にはどんな文脈が潜んでいて、そしてフィッツジェラルドはどういうキャリアの中でこれを描いたのかと。そもそも知識がなかった部分と自分が感じてなかったディテールへの言及が次々飛び出すもんだから、自分の読めてなさと相まって再読したい欲が高まりまくり。多分僕は話の筋ばかりを追いかけているうんだよな〜。

しかし、誰も彼もみなもったい付けた文章なのですよね。それが文学好きの宿命なのか、とにかくまどろっこしいことは確か。もう少しストレートかつエモーショナルに評価する向きがあっても良いような気がするけど、これが文学クラスタってことなんだろう。僕にはちょっとこの書き方は真似できないなぁ。批評は文化を育てるうえで必要だし深く潜ってほしいのだけど、文体としてはここまでこじらせないほうが、広い範囲に伝わるような気も。ちょっと自己陶酔の匂いがしました。あえて意図があってのことかもしれないけど。

なにやらApiedさん、春と秋にはカフェも開くし(今年は12月1日まで〜)、文芸だけじゃなく映画バージョン(こちらはピンポイント作品ではなく、テーマ縛りで「少女」とかそんな感じ)もあるし、ものすごい気になる存在。まずはともかくギャツビーの再読からだな。そして他の号も呼んでみよっと。楽しみだわ。だが、ひとつ言わせてもらおう。この縦長サイズは愛らしいが、縦がちょっと長過ぎて本棚に入らないよ。単行本サイズとおらえるとグレートだったぜ。
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by april_hoop | 2013-11-29 00:00 | 出版 | Trackback | Comments(0)
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