2012年 08月 31日
感想_すうねるところ
c0160283_082637.gifハナコ観てたら木皿泉が脚本書いた舞台やるってゆーじゃないかー!って木皿さん好きの僕ですので、慌ててチケット探して、平日だったけど無理矢理行って来てしまったよ@シアタートラム。その名も『すうねるところ』。はてこのタイトルは??と思ってたところ、ある3人の吸血鬼と彼らが育てた孤児の話だったわ。「吸う寝るところ」でしたか!
木皿泉脚本×内藤裕敬演出 『すうねるところ』 | 世田谷パブリックシアター/シアタートラム

感想が難しいのだけど…、期待していたジンジンくる感動は得られなかった。木皿さんらしい目線、温かさはあったと思うのだけど、ワンシチュエーション、4人だけの人物、90分弱の中ではスパークしなかったなんだよなぁ。大きかったのは、笑いのツボがまるでフィットしなかったこと。客席ではけっこう笑いも起きてたんだけど、僕はほとんどノレなかったんだわ。テレビへのツッコミも、ハラワタも、夏彦がマリオの血を吸おうとするくだりも、吸血鬼カミングアウトも、寝技の連打も、うーん。お芝居の笑いって難しいものだと思うけど、ここであっためられていたら、クライマックスの響き方も違っただろうに。笑いのネタそのものは古いと思いました。これで笑う観客の間で取り残された気分でした。

永遠に生き続ける吸血鬼と、限られた時間を生きる人間の、価値観の対比。死なないから生を謳歌できるわけじゃない。死があるから自動的に生が輝くわけでもない。生きる意志と、生きる意味が、その人生を輝かせる。吸血鬼たいは、マリオという存在こそが生きる意味であり、だからこそ彼らは無為に過ごした何十年何百年がありながらも今、こんなにも生き生きと暮らしている。マリオは青春を謳歌する時代でありながら、茶色い家やいつも同じ服の家族に嫌気を覚え、生きる実感をなくしている。マリオが生を実感したのは、死を感じたとき。地震が起きたとき。交通事故を見たとき。バーチャルがあふれる現代へのテーゼが込められた設定ですね。

さまざまな生きる苦しさを描きながらも、ときにファンタジーを持ち込みながら世界の小さな光を温かな手で掬い上げる木皿さん。この物語にもそういうエッセンスは十二分にあったと思う。多分見れば見るほど隠れていたさまざまな要素が出てくるだろう。家族のこと。震災のこと。一瞬ですべてが変わるようなできごとっていくらでもあるということ。でも、残念ながらそれらを舞台上で、いい形では表現しきれていなかったと思うわ。演出のせいなのか、テキストが舞台表現とマッチしきってなかったのか。いや、もしかしたら舞台上ではあれが最良の表現なのかな。僕がうまくそれを拾えなかっただけで。いやいや、きっと木皿さんがまた次の戯曲を書いたら、さらにすごいことになるような気もする。

夜しか開かないパン屋の前に掲げられた、「明日、あります。」の一言は、最後の最後で染みてきますな。こういうところが木皿さんのすごいとこだと思うわ。
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by april_hoop | 2012-08-31 00:00 | 文化 | Trackback | Comments(0)
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