2012年 08月 29日
感想_最果てアーケード
c0160283_2342115.gif失われないものが、ある。小川洋子『最果てアーケード』読了。そこは、世界でいちばん小さなアーケード。ほとんどの人に気づかれることのないそこには、少し風変わりな店が並んでいる。古いレースだけを集めたお店。絵はがきなど使い古された紙の専門店。義眼屋さん。勲章店。あらゆるドアノブを集めたお店。アーケードの大家である少女は、この中で大きくなった。
最果てアーケード 小川洋子 講談社

いつも以上の小川洋子世界を堪能できる一冊でござったな。どこか現実離れした、浮遊感のある小さな世界は、リトル・アリョーヒンが暮らしていたチェス盤の下の世界ともリンクするような、そんな密やかさと、後ろ暗さに包まれている。大家の少女を軸に、時制を前後させながら語られる連作の中に出て来る人物たちは、みな同じようにナニカを慈しんでいる。そのナニカとは、失われていくものだったり、損なわれてしまったものだったり。だけど、その中に永遠性も含まれている。

誰かの思い出というのは、永遠のものなのだろうか。それともいつかは消えてなくなってしまうものなのだろうか。人の生命が有限である以上、命に宿る想いは不滅とは呼べないだろう。けれど、その想いを形あるものに託せたら、もしかしたら永遠に残る想いというものが存在しうるかもしれない。たとえその形あるものが、世界の片隅や、誰の目にも触れないアーケードの中の小さなお店の奥の奥で蓋をされてしまっていたとしても、そこに存在し続ける限り半永久的に想いはとどまり続けられる。もちろん、その想いを吹き込んだ人はそれを見届けることはできないのだから、それでもそれを永遠と言えるのかどうかはわからないけど。

お話のベースはある種の偏愛でありながら、そこに静かな命の炎を吹き込む小川先生を本当に尊敬したい。わずかな人生という営みの中の、ほんの一瞬の奇蹟を掬い上げる言葉たちは、唯一無二の旋律をもって心の奥底にたまっていく。生きることは死とも同義であり、そのサイクルの中にあってはほとんど失っていくばかりのことなのかもしれないけれど、だけどそれはとても尊いものなんだよな。

ところでこの小説、実はマンガの原案として書かれたものだったというのは後から知った。この繊細さ、切なさに満ちた静謐な空気感を果たしてマンガでどう表現するんだ? 俄然興味津々だわ。

そしてそして。僕はハードカバーを読むとき装丁外しちゃうから今気づいたんだけど、酒井駒子さんの挿絵のイマジネーションがすごいな。陰鬱なタッチゆえの美しさが確かにあるし、小川さんのダークファンタジー的な要素も汲み取っていてお見事。いやーダウナービューティ、小川洋子。満足の一冊です。

<2012/09/12追記>
なななんと、コミック版読んでみたら、重大な読み落としが発覚。え、そんな設定だったっけ!? と小説を読み直してみたら、確かに! わずかずつながらしっかりと描き込まれているではないか。あまりこれ見よがしではないから、どうとでも受け取れそうではあるけど、これは間違いなくマンガのオチと同質のものでした。これによってこのアーケードの世界観はさらに深まるな。想いは止まるということ。それはモノの中に、場所に、誰かの心の奥に。「最果て」というのは、物理的なものではなく、あらゆる人に忘れ去られてしまった記憶のかなたのことだったんだね。ああ、もっと大切に読もう、一冊の本を。物語を。

感想_最果てアーケード(1)(2)
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by april_hoop | 2012-08-29 00:00 | 出版 | Trackback | Comments(0)
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