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2011年 09月 14日
シャシンはつなぐ
シャシンはつなぐ_c0160283_11472992.gif富士フィルムが主催している写真洗浄のボランティア、先日に続いて再び行ってきたお。今回は洗った写真をポケットアルバムにまとめるという作業。平日だけど仕事抜けての参加です。
被災地写真洗浄ボランティア:3331 Arts Chiyoda:アーツ千代田3331:3331 ARTS CYD
と思ったら前日にアルバム制作作業がめちゃくちゃ進んだってことで、また新たに写真洗浄のお手伝いをすることになりました。と前日にメイル来てました。

作業自体は2回目なので1回目の戸惑いは無い。同じ班にも経験者が他に2人いたので流れはスムーズ。前回と違っているのは、洗うと画面が流れ落ちてしまいそうな写真は、洗う前にデジカメで複写してその場でプリントするようになっていたこと。写真というメディアが損なわれてしまっても、これならその写真が持っていた時間と記憶は保存されるもんね。余談だけど、こういうデジカメから赤外線通信、その場でプリントって初めて見たけど、すごいね。プリンターがCMYKをひと版ずつ刷って行くのが斬新すぎたぜ。

改めて写真のこと。写っているのは1970年代の旅行風景もあれば、2003年の女子高生の修学旅行のスナップも。笑っている彼ら彼女らは無事なのだろうか。そしてこの写真が持ち主の手に渡ることはあるんだろうか。そう考えると心がざわざわする。考えても仕方のないことだけど、考えないわけにはいかない。写真の損傷はさらに進んでいる。バクテリアとか微生物の侵食で、写真が腐り始めているものもある。洗うと画面が落ちてしまうが、洗わなくてもこのまま腐ってしまうそうだ。

画面のほとんどがダメージを受けてしまっているものもある。なにが、誰が写っているのか撮った人ならギリギリわかるだろうな、というレベルや、画面の1割程度しか残っていないものとか。これだけ傷んでしまった写真だと、持ち主のもとに帰ったとしてもツライ記憶を呼び起こすことになってしまうのではないだろうか?という疑問もよぎる。でも、それも考えても仕方の無いことというか、余計なお世話なのかもしれない。自分だったら(なんてとても想像できないのだけど)、どんなに激しく傷ついた写真でも、少しでも幸福な時間を思い出すきっかけになるのなら、取り戻したいと思うんじゃないだろうか。もちろんそれ以上に悲しさがあふれてしまう可能性もあるわけだけど。どっちにしても、オレにできるのは丁寧に写真を洗うことだけ。目を背けるのはいつでもできるけど、この写真を洗えるのは今だけだ。

昨日作業されたアルバムが教室の隅っこにおいてあった。写真から得られる情報をメモ化して(日付や写っている人、シーンなどを記しておく)、一冊のアルバムにし、被災地に戻したときの閲覧性と検索性を最大限高めた形で収まっていた。代表的な写真が表紙に添付されている。どの写真も、ひいてはどの人生にも笑顔がある。悲しいときに写真を撮る人はあんまりいない。これだけの笑顔、これだけの人生が、どうかどうか失われていませんように。

同じ班には、前回ご一緒した方と、他の女子大生ふたり。学校で雑誌作ったり新聞サークルのフォトグラファーだったり、みんなそれぞれのスタンスで写真と接している子たちで、お話するのがとても楽しかったです。連絡先を教える前に帰られてしまったのは残念だったけど、こんなご縁もまた、写真の力かな。

by april_hoop | 2011-09-14 00:00 | 閑話


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