2008年 08月 20日
感想_ノルウェイの森(上)
c0160283_0201428.jpgこの本を読むのは多分3度目。もしかしたら4度目ということもなくはないけれど、おそらくは3度目だと思う。読むたびになにか印象が異なるような気がするのに、じゃあ前回読んだ時の印象がどうだったのか、と問われるとよくわからない。実際に読み直してみると、実に多くのディテイルを忘れてしまっていることに気づかされる。だから、というわけではないけれど(実際のところ、前回読んだときにブログをやっていたらなにかしらを書き残していただろうから。要はタイミングの問題ということだ)、ここに感想を書き記しておこうと思う。文章にして書いてみないと物事がうまく理解できないから、ってわけではありません。

よく、村上春樹は喪失の物語であるとされているる。実際にそうだと僕も思う。でもそれだけで、ここまで評価されるはずもなく、その自意識の固まりのような登場人物たちは、けれど喪失する分、必ずなにかを得ている。それが、オレみたいなネクラーズの心を捉えて離さないんだろーなー。ワタナベは愛する人間の死によって知る。キズキの死によって、「生は死を内包している」ということを。直子の死によって、「どんな真理も愛するものの死という哀しみは癒せない」ということを。ハツミさんの死もまた「満たされることのない永遠の憧憬」を思い起こさせるわけで。それらは、ずっと思春期でいたいオレらにとってとてつもなく大きなものなのです。

ご存知の通り、やたらめったら性にまつわる表現が出てくる。実際に性的な行為がたくさん出るわけではないんだけれど、ピンク映画みたり、直接的に性をさす表現がやたらに多い。多くの若者が単純にそういうことに興味があるということであり、しかしそれは同時にメタファーなんだろう。きっと生きるということの。生きなくてはいけないということの。直子の一生に一度の誕生日はなんだったのか。そんなことを考えるとどうも堂々巡りになってしまう。

要するに、我々は失い続け、損なわれ続ける生き物なんだよなーということ。損なわれることに抗おうとすると、おそらくキズキや直子のようにバランスを逸しなくてはならなくなり、井戸に落ちてしまうんだろう。冒頭からこの物語の結論は出ている。ワタナベは決して井戸には落ちない。そして直子は落ちる。きっと、ただそれだけのことで、多くの人は井戸に落ちやしないんだけれど、ごくごくたまに、落ちてしまう側の人がいる、またはいると思わなくてはならない、ってことなんだろうな。

ワタナベは確かにいろんなものを失ったかもしれません。しかし、これが多分一番重要だと思うんだけど、緑を得ます。レイコさんとのセックスは、直子という呪縛を解き放つために、それはつまり現実に戻るために、必要な行為だったと理解しています。直子との約束を忘れるためであり、そして緑のことを手に入れるためであり。レイコさんはいいます。「私もうこれ一生やんなくていいわよね?」。これが現実との折り合いをつけるための行為だったことを示しているように思います。レイコさんは、面倒な現実とオサラバしたかった。「誰にそんなことわかるんですか?」とワタナベは答えます。そう、すべては瞬間に過ぎてしまうことで、たとえ、「もうやらなくてすむと思いますよ」といったところで、そんなものはなんの足しにもならないということなんだろうな。だって、生き続けるってそういうことが起こり続けるっていうことだから。そして、それが紛うことなき現実なのだから。

いったん切ります。
感想_ノルウェイの森(下)
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by april_hoop | 2008-08-20 00:00 | 出版 | Trackback | Comments(0)
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