2009年 05月 31日
この小説を読み解くの、無理かも。村上春樹『ねじまき鳥クロニクル 第2部 予言する鳥編』再読了。猫に続いて、クミコまで出て行ってしまった。彼女は誰か別の男とつきあっていたという。そんなことをにわかに信じることはできなかったけれど、とにかく僕が選ぶことのできる具体的な行為は待つことだけだった。そして僕は、ものごとをひとつひとつイチから考えるために、井戸の底へと降りた。 自分ではない誰かのことをひとつ残らず完全に理解するなんてことが半永久的にできないように、小説の示すものを完全に理解するなんてこともできないのかもしれない。と言っているのか?と思うほどに、この作品の中の人々もできごともあらゆる可能性を含んでいる。それはなにかの象徴なのかもしれないし、なにひとつ象徴していないのかもしれないし、考えだすときりがなく、まとまりもなく、でもとりあえず読み進めてさらに深みに迷い込むような。そんな感じ。第1部は完全にプロローグでしたわ。2部に入ってから加速度的に、核心のようなところに入っていくわ。 「意識の娼婦」とか、ひとつひとつのキーワードを拾っていくだけでも膨大な量になっちまいそうなので、もう少し全体的なところで。根本的には、やっぱりここに流れているのは生と死だと思うんです(村上春樹の小説はいつだってね)。死を前提にした生といったほうが正しいのかな? その中で生きる意味とはなんなのかを問うてるように思える(自分がそう思いたいだけって可能性は大いにある)。間宮さんは、井戸の中ですべてが損なわれてしまっても、失われた恩寵がもたらした意味はなんなのかを考えるために生きている。彼自身はその人生に意味はなかったと言いながら、それでも生きるモチベーションをそこに与えられていた。 ねじまき鳥がどうしてねじを巻いているのか。その理由は生の数だけきっとあって、誰もその理由を突き止めることなんてできやしない。それは、他人のことを理解できないどころか、自分自身のことについてすらろくに理解できていないということからも明らか。クミコの中にあったなにか。僕の中にあったなにか。笠原メイの中にあったなにか。綿谷のぼるの中のなにか。加納姉妹の中のなにか。なにかがあることはわかるんだけど、それがなんなのかはわからない。それは、ただそこにあるものであって、それを知ろうとすることこそが、生きる本質的な意味なの…か? ってもうなに言ってるのやら。 なんにしても、流れを塞いでしまうと淀む。つまり、うちらはなんにしたって生きていかなくてはならない。自分の中のそれや、そばにいる誰かのことを、もっと目をこらして耳をそばだてて息を殺して知ろうとしなくちゃいけない。のかな。まあ、そのために井戸に入ろうとは思わないけれど(果たして水の枯れた井戸がそこにあったら、自分は入ることができるのだろうか?) とか言いながらいよいよ物語はさらに井戸の底よりも深いところへ。一生この小説と付き合っても、不正確なメタファーしかつかめない気がするわ(さじ投げ気味)。 #第1部 #第3部
by april_hoop
| 2009-05-31 00:00
| 出版
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ツナガール。1min.で読めるがルール。管理人エイプリル(1977年生まれ)の日々雑感エトセトラがどこかで誰かと何かをコネクトしてユナイトすることを願いつつ、であーる。 by april_hoop information
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