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2013年 07月 29日
その線が分かつもの
その線が分かつもの_c0160283_645958.gif「川に着く前に橋を渡るな」。なる刺激的・想像喚起的コピーに誘われて行ってきました「フランシス・アリス展」@東京現代美術館。メキシコ在住のアーティストのによる映像作品がメインの展示。とても示唆的な作品だったなぁ。
Francis Alys

ちなみにこの展示はフランシス・アリス展の第二期でした。第一期が大変好評と聞いたのでそれを見逃したことを悔やみつつ、せめて後半だけでもと観に来たしだい。展示は3F(と2Fに映像作品1つ)だけだったので規模は小さかったというか、3つの映像作品が主の展開(プラス映像にまつわるスケッチや立体など補足要素少々)。

ひとつめ「レタッチ/ペインティング」は、パナマ運河地帯で1本の消えかかった道路のセンターラインを塗り直す映像。黄色っぽいペンキで線を塗り直す、それだけ。通行人の視線や、通り過ぎる車なんかも多少映し出されはするけど、なにかが起きたりするわけじゃない。ただ線を塗る。でもそれだけで線とはなんなのかを問いかけられる気がする。一度線が引かれてしまえば、車は線を基準にその左右に分かれて進むことになる。別に物理的な境界があるわけではないのに。そしてそれは線としては消えかけていてもなお守られていて、ここに塗り直されることによって意味を新たにするわけでもないのに、相変わらず車は左右に分かれて行く。線の上はある意味で聖域かもしれない。

ふたつめがメインとなる「川に着く前に橋を渡るな」。ヨーロッパとアフリカの間にあるジブラルタル海峡。わずか14kmしか離れていないため対岸がそれぞれはっきりと見え、そしてここを渡ろうとする不法移民もたくさん存在した(主にアフリカ→ヨーロッパ)。しかし海流が激しく、その航海は危険を伴う。そんな場所で、それぞれの大陸から若者たちが対岸に向かって一列になって進んで行く映像作品。もちろんそれぞれの列が出会うことはないのだけど、はたしてその先の大陸と出会いを想像することができるのか。

海は予想以上に荒く、どういう方法で撮影しているのかわからないけど、終始波に飲まれるような映像。説明もあまりなく、みな手にはサンダルをベースに工作した船を手にしている。やっているのは橋をかけようとする行為であり、タイトルの意味について考えを巡らせる。FFTの「いくつも方法があるのに、それをひとつにした橋の罪は重い」がまた脳裏をよぎる。橋もまた線なのである。やってることは説明を読まないとなんだかわからないけど、なんだかわからないけどなんかすごいという印象。

最後の2本はセットで「こどもの遊び」。砂の城作りと水切り。別の国の子供たちの遊ぶ様子を写した作品で、どこかのどかな匂い。これは線とは直接結びつかないけれど、もう「線」というテーマを設定してしまった僕の脳内では、子供と大人の境界線みたいなことを思ったわ。こどもの遊び、それは意味のあるものなのか、ないものなのか。意味があるとしたらどんな。ないとしたらどこから意味のあるものになるのか。そんなことを思う。

「線」て、僕はけっこう日頃から気になることがあって、たとえば国境とかがわかりやすいかもしれないけど、誰かが線を引いて、そこになにかしらの実行力が備わっている。物理的にはなにもないのに。スタートラインとかフィニッシュラインもそう。サッカーのゴールラインもそう。バスケのスリーポイントラインもそう。線という平面的な約束が、なぜこれだけの重き意味を持つのか。ときどきとても不思議に思うことがあって、この映像作品たちでまたそんなことを思い出した。

作家はそんなことが言いたいのではないのかもしれないけど、とにかく僕はそう思ったんだよね。映像作品手どっちかというと苦手で、面白かったとは言い難いのだけれど、興味をくすぐるものでした。

by april_hoop | 2013-07-29 00:00 | 文化


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