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2013年 03月 31日
始まりも終わりも突然に。
始まりも終わりも突然に。_c0160283_18455348.gif原美術館で始まった「ソフィ カル 最後のとき/最初のとき」という展示を見てきました。ソフィ カルさんはフランスの女性アーティストだそうで、物語性の強い写真と言葉を組み合わせた作品が特徴的だそう。という前情報で、あまり展示の中身は知らないままにフラリと行ってみました。
Hara Museum Web
ソフィ カル―最後のとき/最初のとき(PDF)

大変にショッキングな展示ではあったけど、それだけの質量がありました。展示は大きく二つ、タイトル通り、最初のときと最後のときが表現されてます。まずは1階の「最初のとき」。ギャラリーには12枚のモニターがかけられ、そこに海を前にした人々の後ろ姿が映し出されている。設定は、イスタンブールの、海を一度も観たことがない人を海に連れて行き、海を初めてみる様子を撮影したというもの。でも、後ろ姿だから彼らがどんな表情をしているのかはわからない。ジャケットの男、スカーフの女、赤い服の少女、老人、子供たち、松葉杖の男…。やがて思い思いにカメラのほうを振り返り映像は終わる。微笑むもの、無表情のもの、涙を浮かべるもの、そしてはしゃぐ子供たち。ああ、自分が初めて海を観たのっていつだったろう? なにを思っただろうか。映像自体は地味きわまりないけど、そんなことをふと考えてみたり。始まりって、こうして用意されないと意識することもなくやってくるものなんだよな。

そして2階、「最後のとき」へ。ここでは盲人たちのポートレートと、彼らが光を失う前に最後に見たものはなにか、というインタビューがあわせて掲載されている。手術の前に観た医師の顔だというもの、自宅の天井の灯りだったというもの、自分を銃撃した男の顔だったというもの愛する夫だというもの。視力を失った理由はさまざまで、いたたまれない事件も多い。いつか光が損なわれると分っていた人、そんなこと知る由もなかった人、さまざまで、もちろん最後に見たというものもバラバラ。何を見たか意識していない人も多い。それはそうだろう。

ところで、これもイスタンブールの人たちを取材したそうで、イスタンブールはその昔「盲人の街」と言われたそう。これはメタファーで、ヨーロッパ側からアジア側を見て、ヨーロッパの素晴らしさに気付かないアジア側の人々を指して盲人と読んだということ。「最初のとき」は状態としての盲であり、「最後のとき」はまさに動かしようのない闇を指している。そこにはどんな違いがあるだろう。差があるだろう。

どちらにしても、始まりも終わりも突然にやってくるものだということ。想像の海と、実際の海はどう違っただろうか。記憶の中のイメージは今もそのままあるだろうか。見たものも、見ていないものも、思いのほかそのイメージは脆いものなのかもしれない。

by april_hoop | 2013-03-31 00:00 | 文化


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