人気ブログランキング | 話題のタグを見る
2011年 05月 30日
Play Tohoku 03_塩釜
明けて日曜日。昨日会った友人は、被災地を見に行くといい、と言ってくれた。再開しているお店で食事なり買い物なりすればいいと。その言葉に背中を押されてレンタカーを借りて沿岸部を回ることにした。当日朝の電話でクルマは借りれた。ガソリンなどももう十分行き渡っていることを確認する。

(仙台市街地の被災状況について友人から聞いたところ、電気水道は数日で復旧したがガスは1ヶ月かかったとのこと、当日避難所に行ったが大混雑していたということ、食料を求めて人々があふれたこと、ラジオを買いに走ったこと、など。市内の建物は壁がはがれたり、いろいろと損傷はあるが、津波被害地域を思えば全然だ、という。確かに2ヶ月半が過ぎて目につく大損壊はあまり見当たらなかった。もちろん、ところどころで外壁工事なり、道路工事(これは地震被害なのかわからないけど)なりを目にはしたし、休業してるホテルとかは多かったようだけど)

クルマに乗り込んで駅前から東、仙台港方面へと向かう。どこから世界が変わるのか。外を見やりながら走らせる。それは徐々に兆候となってあらわれる。あの道路脇にあるのは瓦礫じゃないだろうか。あの建物のガラスが割れている。そして気がつくと、クルマが積み重なり、樹々がなぎ倒され、ガードレールがひしゃげている。映像で見た世界が目の前に広がり始めた。なんて暴力的な光景なんだろう。この自然の脅威を知ってまだ戦争とかできる人がいるんだろうか。

おそらくそれでも瓦礫の撤去はずいぶんと進んでいるのだと思う。だからレンタカーで走ってこれた。でもまだ止まっている信号がある。おそらく同じように様子を見に来たと思われるレンタカーがちらほら。そんな状況でも再開しているお店が。コンビニとかファミレスとかチェーン系の復旧が早いように見受けた。塩釜港の中でも壊滅している部分と、そうじゃない部分とがあって、これは波の向きとかそういう条件によるのかな。建物の強度とかも関係してたのかな。1Fがガラス張りの建物などはほとんどぶち抜かれていたように見えた。もしもここに建物がなにもなかったら、津波はいったいどこまで押し寄せたんだろう、と思った。

塩釜港を南から北側へ回り込むと、国道沿いのすゞき物産が営業をしていたので立ち寄ることに。店内は50cm以上浸水したようだけど、なんとか一部修復して再開したとのこと。もちろん商品は限られていて、普段は東北沿岸地域からのさまざまなみやげものを販売しているそうだが、今はごく一部。30分近く話し込んだかな。当日の状況。地震から津波までの間。避難しながら見たもの。そして今。いたずらに様子見で被災地にくることがいいことかわからない、と伝えると「いいんですよ。ちゃんと見て、周りの人に伝えてください。そしてできれば東北にみんなに来てもらって、少しでもお金を使ったりしてくれるのがいちばん助かるんです」と。

奥さんの自宅は半壊という扱いになったらしく、公的な補償の優先順位は低いみたい。お店もおそらく営業できるレベルだから同様なんだろう。もちろん、もっと酷い目にあっている人からしたらそれ以上幸せなことはないんだろうが、現実問題生活には困っているわけで、そうなるとボクたちにできることは、ここでわずかばかりでもお金を使うことでサポートすることなのかもしれない。東北は近い。電車も道路も復旧に向かっているのだものね。「ここも大変だけど、石巻や気仙沼に比べたらまだまし」。

by april_hoop | 2011-05-30 00:00 | 旅情


<< Play Tohoku 04_石巻      Play Tohoku 02_... >>